デルフトの眺望
View of Delft
ハーグ(オランダ)
マウリッハイス美術館


1660年頃
96.5×115.7cm
何も説明が要らない作品です。

「デン・ハーグの美術館では、見事な、そして一風変った一枚の風景画が、全ての来訪者の足をとどめさせ,
画家や絵画通たちに強い印象を与えている・・・・・・・」

フェルメールの名前を今の世に知らしめたトレ・ビュルガーの論文の書き出しです。

有名なプルーストの「失われた時を求めて」の引用も載せておきます。

死がベルゴットを襲ったのは、彼があまりにも強力なそんな友人の一人(友人か?敵か?)
にそのようにたよったその日の翌日のことだった。彼はつぎのような状況のなかで死んだ。
かなり軽微な尿毒症の発作があって、彼は安静を命ぜられていた。しかしある批評家が
書いているものによると、フェルメールの『デルフトの眺望』(あるオランダ美術展のために
デン・ハーグの美術館から借りられたもの)、彼が大好きで、よく知っているつもりだった
この油絵のなかに、黄色い小さな壁面(それが彼にはよく思いだせなかった)が、じつによ
く描かれていて、そこだけを単独にながめても十分に自足する美をそなえていて、すばらしい
支那の美術品のように美しい、とあったので、ベルゴットは、じゃがいもをすこしたべ、外出し、
展覧会場にはいった。階段をまず二、三段のぼったとたんに、彼は目まいに襲われた。
いくつもの絵のまえを通りすぎた、そしていかにもわざとらしい芸術の、うるおいのなさ、
無用さの印象を受けた、−どれもこれも、ヴェネチアのある宮殿、いや海のほとりの単なる
一つの家を吹く風、照らす日光にもおよばないではないか。やっとフェルメールの絵のまえにきた、
その彼には、およそ知っているどの絵よりもはなやかで、他とはかけはなれていたという記憶があった、
しかし彼は披評家の記事のおかげで、いまはじめて、青い服を着た小さな人物が何人かいること、
砂がばら色をしていることに気がついた、そして最後にほんの小さく出ている黄色い壁面のみごとな
マチェールに気がついた。
目まいがひどくなってゆく、彼は子供が黄色い蝶をつかまえようとするときのように、
みごとな小さな壁面に視線をしばりつけていた。「こんなふうにおれは書くべきだった」と彼はいうのだった。
「おれの晩年の書物はどれもこれもうるおいがなさすぎる、いくつもの色層をかさね、
おれの文章をそれ白身のなかでりっぱなものにすべきだった、この黄色い小さな壁面のように。」
そのあいだも、目まいのひどさは彼から去りはしなかった。彼の目に、天上の秤が、その一方の皿に
彼白身の生命をのせてあらわれていた、もう一方の皿には黄色でじつにうまく描かれた小さな壁面が
置かれていた。彼は後者のために無謀にも前者を犠牲にしたことを感じていた。「おれは、しかし」と
彼は白分にいった、「この展覧会の三面記事になって夕刊紙に載せられたくないな。」
彼は心にくりかえすのであった、「廂のある黄色い小さな壁面、黄色い小さな壁面。」くりかえしているうちに、
円形に腰かけられるソファの上にたおれかかった、すると突然彼は自分の生命が危険に瀕しているとは
考えなくなった、そして楽観的な気持にもどって、自分にいった、「ただの消化不良を起こしただけだ、
あのじゃがいもがよく煮えていなかったためだ、なんでもないんだ。」第二の発作が彼をうちたおした、
彼はソファからゆかにころがり落ちた、そこへ見物人も監視人もみんな駆けつけた。彼は死んでいた。
永久に死んでしまったのか?誰がそうと言いえよう?なるほど交霊術の実験も、宗教の教理も、
魂が存続するという証拠をもたらしはしない。人が言いうることは、この人生では、われわれが前世で
負わされた義務の重荷をそのまま背負って生まれてきたかのように、すべてがはこばれる、ということだ、
この地上でのわれわれの生存の条件のなかには、善をなせ、こまやかな心遣をせよといった義務、
いや礼儀正しくあれといった義務さえも、それを人に感じさせるような理由は何一つないのだし、
また神を信じない芸術家にとっては、永久に未知のままの一芸術家、わずかにフェルメールという名で
判別されるにすぎない芸術家が、あのように多くの技術と洗練とをかさねて描いた黄色い壁面のように、
一つの断片を二十度もくりかえして描く義務を感じる理由は何一つないのであって、たとえその断片がやがて
人の賞讃をかきたてることになるとしても、蛆に食われる自分の肉体にとってはどうでもいいことであろう。

(この「ベルゴットの死」はマルセル・プルーストが1921・5にパリで「オランダ絵画展」でフェルメールの
『デルフトの眺望』を見ての実感から書かれ挿入された)
文中の披評家とは、当時「オピニオン」誌上に批評を発表したヴォードワイエと、「ガゼット・デ・ボーザール」
誌上に発表したクロチルド・ミスムとの合体ではと言われています。(井上究一郎)

さて、突然ですがここで問題です。
Q:この絵の描かれた時間帯は何時ごろでしょう?

私はこの作品を1998年7月にオランダ、マウリッツハウス美術館で観ました。(こちら
残念ながら?この絵の前で倒れ息絶えることはできませんでした。
それでもこの絵の前で「オランダの空」の美しさを知ることができました。

さて、↑の答です。
A:朝の7:10ころの風景です。
 中央奥の運河の入口向かって左側にあるスヒーダム門の時計に注目です。
 
因みにプルーストはこの絵を前にして「永遠の夏の午後」とし、
 またスフィレンスは人物の影から察して、正午頃と考えています。

 ダニエル・フォスマールの「デルフトの眺望」です。(手前にあるのは架空の回廊だそうです。)
 
Daniel Vosmaer(1650-1666) View of Delft with a Fantasy Loggia Gemeente Musea Delft,the Netherlands

 「デルフトの眺望」が描かれたのと同じ場所です
 (2005/3撮影)
 「デルフトの眺望」今昔 詳しくはこちらを。

 レストラン「JOHANNES VERMEER」もデルフトの街にありました。

 
デルフトの街のHPはこちらです。(オランダ語と英語あり)
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