レースを編む女 The Lacemaker |
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パリ(フランス) ルーブル美術館 1669年頃 23.9×20.5cm |
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「偉大な絵は、芸術家が暗示するだけで、目に見えない大きな力を感じとることができる。 フェルメールの『レースを編む女』に私はそれを発見した。 この娘の持つ、目に見えない針を中心に、宇宙全体が回っていることを私は知っている。」 スペインの生んだ鬼才サルバドール・ダリの残した言葉です。 他の画家に対しては辛辣なコメントを山ほど?残したダリですが、フェルメールに関してはベタ褒めです。 この「レースを編む女」もオマージュとして「Paranoiac-Critical Study of Vermeer’s ‘Lacemaker’」という 作品まで残しています。著作権の関係で(画家の死後50年は勝手に使えません) 著作権に関しては、こちら または社団法人著作権情報センターまで。 でもダリのその作品観たいですよね?Salvador Dali Art Galleryというページにありました。 この画像です。「Paranoiac-Critical Study of Vermeer’s ‘Lacemaker’」です。 1955 「フェルメールの『レースを編む女』に関する偏執狂的=批判的習作」 この他にも「絵画芸術」に描かれている画家の後ろ姿を「フェルメールの亡霊」として作品に描いています。 ダリだけではなく印象派の画家たちもこの作品について言葉を残しています。 その中でもルノワールの「世界で最も美しい絵画の一つ」という絶賛の言葉が有名です。 カミーユ・ピサロもまた「印象派の絵に近いものがある」と述べています。 これは画面手前に垂れ下がるように描かれた糸のまとまりの部分の表現をさしての事だと思います。 約200年以上もあとに登場する印象派を予想しているかのような筆致です。 どうしてこれだけ多くの画家さんに賞賛されるのでしょうか。 改めて観るまでもなく大変見事な作品です。何が見事か。それは女性の全神経を今まさに ぎゅーと凝縮させたように描かれている画家の「集中力」でしょう。 女性の視線や指一本一本の表現は定規をあてて描いたように幾何学的でさえあります。 日常的なワンシーンのはずなのに、この作品からは、ありふれた日常性というものが 切り取られてしまっているかのようです。 日常であって、非日常的。 周囲や外界からの雑音の全く聞こえてこない空間がこの絵に表現されています。 これだけ集中した絵だからこそ約24×21cmの小さなサイズで丁度良いのかもしれません。 さて、「レース編み」に関しては当時特別なことではなく、台所仕事同様、大変日常的なものでした。 ニコラス・マースは繰り返しこの場面を描いています。 Nicolaes Maes(1634-1693) The Lacemaker 1650 Metropolitan Museum of Art, New York The Lacemaker 1655 National Gallery Canada A Young Woman Sewing 1655 Harold Samuel Collection London カスパール・ネツェールもこの当時のオランダ・フランドルに住む女性の「聖職」であった レース編みを描いています。ここのあげた4枚の絵とフェルメールの絵を比べてみて下さい。 同じ行為を描いている作品であり、それぞれ風俗画とし大変素晴らしい作品ですが、 、フェルメールのレース編みに勝る集中力を表現している作品はありません。 Netscher Caspar (C.1635-1684) The Lacemaker 1662 Wallace Collection London ところで、フェルメールの作品の中でもう一枚この「レース編み」をしている姿を描いた作品があります。 お気づきになられましたでしょうか?白い頭巾をかぶり、家の入口で子供たちの遊び声を聞きながら・・・ もうお分かりですよね。 この作品は2002(平成14年)パリのルーヴル美術館で観ました(こちら) フェルメールの作品の中でも最も小さなサイズの作品と頭には知識として入ってはいたのですが・・・ いざ目の前に立つと、その小ささに驚きました。縦約24cmではワインボトルより小さいですからね。 ルーブル美術館で撮影した画像はこちら額縁で大きそうに見せてはいるのですが。。。やはり小さいですね。 |
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